グランマの信州日記

〜ここ信州で生きて行く〜

悲しい交通事故の新聞記事が出てきました

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今日の午前中は深々と雪が降っていました。

午後には止んで、陽も差してきましたが、身を切るような

北風が冷たい一日でした。

 


探し物をしていたら、古いファイルの中から平成4年の新聞記事の

切り抜きが出てきました。

 

 

この間のことのようですが、もう28年も前の悲しい交通事故でした。

 

その日の朝、夫の甥っ子が交通事故との緊急電話があり取るものも

取り敢えず東武東上線浅草駅で義姉二人と落ち合って日光に向かい

ました。

子供達(学校)を置いてきた為、実家の母に浅草駅から電話を入れ

たところ、正午のNHKニュースで事故のことが放映されたらしく、

母から聞いて事故の概略が初めて分かったという具合でした。

 

日光駅でタクシー運転手さんからも「国道で黒煙が上がっている

とのことで、事故の通報より前に消防が動いた」と聞きました。

 

甥っ子は夜に帰るつもりが、お酒を飲んだ為に友人宅に泊まって

翌朝早く出発したようですが、激しい雨の中仕事に間に合うように

車を飛ばしたようです。

 

そして新聞記事にあるように、車がスピンして対向車と衝突。

 

相手のドライバー氏は顔面を打ち、外れた眼鏡が見つからないので

事故を知らせるために、ガソリンスタンドを探しに歩き出したそうで、

その当時は携帯電話もまだ普及していなかった? 覚えていませんが。

 

激突した部分がガソリンタンク付近で、たまたまガソリンは満タン。

 

甥は車外に逃げようとしたらしいのですが、当時はシートベルトの

義務化はされておらず、車はシーマで安全のために衝突すると二重

ロックがかかったとのこと。

慌てたためかその二重ロックの解除ができなかったようで、助手席側

から逃げようとしたらしいのですが、ガードレールに阻まれてドアが

開かなかったとか、、、

そして煙にまかれてしまったらしいと現場検証後に聞きました。

 

後から駆けつけた義兄と夫は事故の後始末で警察署や病院を慌ただしく

行ったり来たりしていましたが、事故の相手の方が「何がなんでも

車から助け出していたら、、、」と悔やんでいたと言っていました。

 

義姉達や私は弔問客の接待に追われていましたが、集まった甥の従兄弟

など子供達のために、手軽なホットドックを作り食べさせました。

そのホットドックを子供の一人がショックで呆然としている甥の母親に

持っていったらしいのです。

そうしたら食べたのです、、、「美味しい」と言って。

皆で胸を撫で下ろしました。

 

それから、甥の母親は「こんなに真っ黒になっちゃって、、、」と

遺体にすがりついて拭き出しました。

それをみた近親者の叔父が「やめさせろ!」と怒鳴り、そばにいた

別の叔母が「いいじゃないか!気が済むまで好きにさせておやりよ」

と叫んで不穏な空気が流れたりしました。

 

東京に戻る時間もなく、喪服は貸衣装。足りない下着は近所の洋品店

で買ったりしてなんとか葬儀は終わりました。

 

火葬場で義姉の一人が「なんだかねぇ、煙突から出る煙が弱々しい」と

ぽつり。

悲しいことに、、、あっという間に遺骨になってしまいました。

 

式も終わり帰りがけに「事故現場」に花をたむけに寄りました。

 

「おい見ろよ! 木(国道沿いの街路樹)の天辺まで黒焦げだぞ」と

義兄が天を見上げて言いました。。。

 

 

 

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